2011年 6/23日の記録。
福島でのボランティア参加で多少トラブルに有ったが、予定を変更して北へ。
仙台に到着。 駅でしばらく歩き回って、帰りの、大阪/京都への夜行バスのスケジュールを確認。8時ごろのがあった。しかも11000円台。安いやんけ。しかし安いだけに乗り心地が心配で「予約せずたぶん後決めでも大丈夫だろう」と、
近隣路線情報を探す。(わかりにくい…;)1(新幹線と近距離駅情報が完全に別になってて全体がわかりにくいのだ。) 仙石(せんごく)線 で石巻へ。
仙石線は仙台から西側の海岸を回って石巻へ。 切符売り場の表示では石巻手前数駅、矢本で、まだ復旧せず途切れているようだ。 とにかく行けるところまで行ってみよう、Uターンすればいい。
最初は地下鉄であった。(東北のくせにナマイキな…)(いやなにしろ30年ぶりだもんで)
地下各駅はきれいだ。小さいようだが明るい。大阪の、妖怪の棲んでそうな地下鉄と違ってあたらしいのだろう。 仙台駅周辺もそうだったが、地震の痕、ひびわれなどもほとんど見えない。
『自分でボタンを押して開ける」方式!! 列車のドアは乗降の際、脇にあるボタンをおさないとあかない。感動的である。 @@@!! しかもどうやら、小さい駅では 先頭車両でのみ運転手が切符をチェックして降りれるらしい。 後ろの車両にいると下手するとおりれないはめに… 京都府の、山奥の牧場へ行く路線で、似たシステムでパニくったことがあったので気がついたが、でなかったら目的地でおりることできいだろう。 が、ドアの開閉は自動だった。w
心配した。『目的のものが見れるのか?」
目的のものとは、大震災と津波の痕跡である。
列車は地上へ。 …ほとんど、住宅街。 2階建てのきれいで大きい家が多い。 お金持ちの町が続く。 と、おもったが、大阪と違って土地がたくさんあるんで、いろいろ豊かなんだろう。 たまに、
駐車場などに、数張のテントが見える。 福島のボランティアから、『被災者さんは避難所の中で寝れるけど、ボランティアはテント」ということだ。 交通手段がなくなってかえれなくなっても、そうだったという。だがまあそれはかなり前の4月ごろのことだろうが、…
『松島」駅で。 『石巻行き代用バスが…』とのアナウンス。
松島前はふつうの観光地の駅前状態。 昼近いので「牛タン」店の看板に誘われるものが。ただ、店はほとんど閉まっていた。古い民家風のみやげ物店などだが、営業時間や休業ご挨拶の張り紙。週末のみ営業とかかも知れない。 建物はほとんど壊れているように見えなかったのだが…
切符は矢本まで買ってあったが、よく状況がわからず、でもバスが出てるのなら石巻へ行きたいと、改札を出る。 バスの案内所へ急ぐが、wwwどうもJR駅のほうで買うらしい。JRの路線代用なので、切符でそのままいけたのだ。 自動券売機で切符石巻までのを買い、出発時刻ぎりぎりでバスに乗り込む。
<JRに告ぐ。代用バスがあるなら書いといてくれwww。>
松島近辺は海岸もきれい。道路際の林でさえ、木の配色がよくて、デザインされたように美しい。
だが、あいまに小さな湾の中には、瓦礫の切っ先が所々に見え、海は、よどんでいる。 ということは湾内の海は瓦礫に埋めつくされているのか。 しばらく、街道脇には閉じた店、 たまにいちおう開業らしい大きなホテル。 だがほんの1ブロックで様相が変わった。
たぶん岬の一回りなのだろう…海岸側はかすんで見えないが、まともに建っている建築物は見えない。
海も、陸も、町も、…すべてがくすんだ茶色だ。
リアス式海岸の、向こうに見える岬も、湾の海も、 すべての海岸の港や、町や、村だったものも。
バス道路の手前の地域はすべて淡い緑草のふちに覆われた空虚な区画だった。延々と続く。
道の左側とみれば、ちゃんと家が道路沿いに続いていて、アンバランスな光景。 よくみると…
中身を津波にさらわれた家の死体が並んでいたのだった。 一階は海側-道路際-の壁がなくなり、暗い内部を覗かせ、2階は閉じた窓のみ。 立っているが人は住めまい。
「いかん、泣いてはいかん」と窓側に顔を向けた。 泣いたらここに慣れない、『見物」にきた人間だとばれてしまう。 いま、ボランティア活動はプランを立てて申し込みアポをとらないとできないという。 今は無理だ。だがわたしは、 日本人として、同時代に生きた人間として、今の東北を、この災害を、目に収めなければすまない、その思いに駆られてここへきた。
それは、別に悪いことではないはずである。…がしかし。
『ボランティアでもなんでもなく、われわれのつぶれた家を見物に来た」者に対して被災者の人たちはどう思うだろう。?;;
私だけでなく、年配の男性など2.3人のひとはやはり、この光景を見渡して呆然とした様子だった。 バスは多分3.4キロごとか、バス停に止まっていく。 周りに何もなさそうに見えるが、それでも荷物を抱えた人がおりていく。 茶色の光景の中、道路脇に自衛隊の車両と臨時の本部らしい倉庫のような建物、隊員が集合しているのが見えた。 自衛隊だけが活動できる、まだそんな場所なのだ、ここは…
ほかの人々の姿もあった!! 道沿い、屋根だけのテントをはった下、建物も何もない場所で、 机や箱などがおかれ、10〜20人の男女が作業をしている。 白い何か束ねられたもの、たくさん有ったが あれはホタテ貝の殻だとおもう。
ほかはあまり変わらない景色がつづくなか、アナウンスで「
とおの…とおの」と。 「えぇ? 遠野はたしかここいらだが、もっと北で、山奥のはずじゃ…」 でも遠野としかきこえない。 「遠野物語」のあの遠野が… こうなった..のか?と思う。 と、 とうとう顔を伏せて泣いてしまった。 自分で自分がわからなくなった。
亡くなった魂を思うより、「遠野物語」で本格的になくとは… 、自分は冷淡な人間なんだろうか。 (後に調べて、「東野」だったらしいことが判明wwww)
すこし、道沿いに大きなたてもの、、シャッターはおりているが無事そうな店などが、ぽつぽつあらわれる。やがて信号までが! 次は石巻らしい。開いているソバやがあった。張り紙で昼〜2:45分とかまで営業とか。ソバは大好きだ。昼食はぜひここでたべたいが 2;30分…ううむ。
しばらく後石巻駅! 駅前はシャッターのおりている店が多いが、あまり壊れた建物は見えない。車も結構通り、商店や飲食店も多いようで、ちいさいがけっこうにぎやかな駅前である。 がww
なんですかこれは。
JR駅のかべに へんな..... 006。
石ノ森章太郎の 「サイボーグ009」の、張々湖大人である。 でも..足が長い。
見渡すとほかにもいまひとつないやその、たのしい石森キャラが壁に。
例のそば屋は時間が無理だった.. ほかのみせをさがすと、ラーメン屋、 わたみ、などいくつかあったが、みな 営業時間を限定して、営業しているようだ。 夕方にならないとあかない。
駅前から角を一つ曲がると、商店街が一変した。 道路を挟んでかなりながい、アーケード付き商店街。町の姿はそのまま、…だがほとんど、一階は波に襲われたようだ。ほとんどの店が、 一階に闇を抱えていた。 しかし、いくつかの店は営業している!!
やおや 食料少し…小玉スイカ安い。くそ道具あればな… お茶屋さん。 笹かまぼこ、萩の月 (仙台銘菓) 自家製のパン屋!! 衣料品、スポーツ用品店、 靴屋。
ジャージなど実用的な衣料品が多いようだ。そうか、ボランティアの人に必要なのだ。 飲食店もほとんどがボランティアの人がお客なのかな?? しかし!! 「テーラー」。結婚式場のようなウィンドウのディスプレイ、フォーマル・ウェア。 場違いなのだが、あえて店を開け続けておられるのでは、ないだろうか。 …しばらくの間、この町を見回っただけの私でも、…駅前の近いこの辺りはいくらか開いている店も有るが、石巻の商店街は大きい。
、ほとんどが店の形骸だけがえんえんとつづく。 それをみつづけると、言葉がもれてくるのだ。「なんとかしなければ。」 なにを? 自分に何ができるというのだ、だけど、
どんな人でもこれをみれば、その思いに襲われるのではないだろうか。